a patient (-tree)

エイズ&カポジ肉腫になった人の入院記録です。雑記あり。

2023年4月17日から4月22日の出来事

 

ブログを書く余力がなく少し遅れて今回は更新をお届けします。(そもそも面倒臭がりな性格が拍車をかけている←)
長いかも……。


2023年4月17日月曜日

 血液採取
 点滴4回

 CRP22.07 (炎症反応を表す数値)入院時もこれくらい

昨日の体重が47.5kg。
今日の体重が49.5kg。1日で2kg増える。点滴の影響もあるがさすがに急に増えすぎだろと。

先生が来られ経過を説明頂いた。連日高熱が続いているからさすがにおかしいと、炎症反応が入院時の時と同じくらいまで上がっているらしい。何か他に感染してる可能性があるらしく今の状態では退院出来ないということになった。


2023年4月18日火曜日

 血液採取
 点滴8回
 (抗生物質3回+別の抗生物質2回+解熱剤2回+ステロイド1回)
 CT検査

 CRP28.54

体重が50.5kg。着実に体重を増やす。
今は何に感染してるのか急いでもらっている。

お腹の張りが酷く苦しい。ガスが溜まっているそうだ。聞けば肝臓に関する値が悪くなっているようで、内臓系がやられているんじゃないかということだ。また心臓に水も溜まりだしたと。肺にも溜まりやすい状態だという。
その為CT検査で首の下から骨盤辺りまでの内臓を全部見て貰うことになった。
が、検査ではそこまで目立ったものは見付からない?という。



2023年4月19日水曜日

 血液採取
 点滴
 (抗生物質+アルブミン+解熱剤
 既に何回したとか覚えきれず回数分からん笑)
 緊急CT検査

 CRP32.46

体重が51.1kg。
お腹の張りが続けて酷い。ご飯を食べると苦しいため朝は1割くらい、喉が渇いていたので味噌汁の汁と苺(果物はビタミンがあるから欠かせない)を食べてその他は食べず終了、昼は食べられなかった。そもそも食欲がわかない。
先生が来られた時に状況を話すとご飯は暫く抜いて栄養は点滴で補いましょうかということになった。夜から絶食。
また、先生がお腹の張りを確認する際にある場所を押すがそこが凄く痛む。昨日、CT検査をする際はゼリーを塗ってお腹を人に触れられていたがその時は何も感じなかった。
押す加減で痛みが感じやすいなどがあるのかもしれないが、私が痛みを感じたことに驚き「え、めっちゃ痛い、何これ」と言うと「あー、中が炎症してるからだわー」と先生。予定には無かったが緊急でCT検査を入れますということになった。
いや、CT検査昨日したやんと思ったら別のCTだった。
全身をゆっくり機械に通すやつ。昨日は手元のハンドルで少しずつ内臓を確認して貰ったが、今回はこの機械で内臓を見るらしい。
その結果、肝臓と脾臓が肥大しているということが分かった。お腹の張りもこの辺の異常が関係しているらしい。

また首にカテーテルを入れようということにもなり同意書を渡される。腕から入れている量にも限界があり、最初こそカテーテルを入れるのにエコーを取りながら静脈に向けて針を刺して大変だが、刺せたら首からの点滴の方が量も増え2種類同時に出来るから便利なんだそうだ。血液採取もここから出来るらしい。
なるほど。先生の言うことを聞いておきましょう。
ってか、明日親が面会に来る。
要らないものを鞄に詰めとくので私の家に持っていってもらい、ついでに私の家に行って家の様子を見て貰い、必要なもの(服やらなんやら郵便物など)をまた持って来て欲しいと私が頼んだからだ。
まだ元気だった時に頼んで「じゃあ木曜日に行くわ」となったので、まさか過去一悪い状態の時に面会になることになってしまうのは予想していなかった(笑)先週はとても元気だったのに。


2023年4月20日木曜日
 
 血液採取
 部屋が個室に移動になる
 親と面会2回
 首にカテーテル導入
 点滴(全部覚えてないが、抗生物質+血小板+輸血+その他)

 CRP30.51


体重が51.1kg。やっと体重増加はおさまりを見せる。
諸々の事情(検査、室内のレントゲン撮影の必要性、カテーテル導入、また私が周りを気を遣うのも考慮されていると思われる)で部屋が個室に移動になった。
先生が個室に来られ、CRPの値がやっと減少傾向になりつつあるがまだまだだということだ。

11時30分頃に両親が面会に来る。
要らないものを詰めた鞄を渡し私の家の様子を見に行って貰った。

カテーテル導入は、エコーを取りながら静脈を探しつつ針を刺していく。
なるほど、エコー機械を操作しながらだから(針を刺すのは手動)これは個室くらいの広さが無いと前の部屋ではさすがに無理だなと感じた。
首にカテーテルを入れる際、首の箇所だけ穴の空いた紙製のものを頭含め上半身に被せられるのだが、夜寝るときに布団を頭まで被ると息苦しくなり寝ることが出来ない私は同じ状態になりとても息苦しかった。まぁ死にはせんからそれはどうでもいい(笑)ただ終わる頃は汗だくになった。
カテーテルも無事終了し、親から15時45分ほどにラインで「必要なもの持ってきたよ、今から面会大丈夫?」とラインが入っていたが、カテーテルの導入を16時30分くらいまでしたので少し待たせていたようだ。
親に「大丈夫」と返事をし、上がって来たところで先生が両親に経過説明をしてくれたらしい。その後に親と本日2度目の面会をした。
必要な物をもらい少し話をして別れた。
まさかの病状が一番悪い時に来てもらって悪かったなと思う(笑) ←笑うな

夜は点滴やら酸素吸入のお陰でぐっすり眠れた。


2023年4月21日金曜日
 
 点滴(抗生物質+ご飯の代わりに栄養剤+色々)
 室内でレントゲン撮影

 CRP22.84

体重が50.7kg。
食欲はまだ無いが先生から小腹が空いていたら少しくらいなら食べていいよと言って頂いた。栄養は点滴でとっているから食べ過ぎに注意とも(笑)その内調子が良くなった頃に空腹感も感じるようになるからその時にご飯はいつも通りに戻そうということになった。
調子は昨日より全然良くなった。
また、今回の症状は感染症などにかかったのではないかということだ。原因のものはまだ突き止めていないが、今行っている治療で調子が良くなっているため継続するとのこと。
感染症と聞くと「誰かに伝染された」というイメージがあるが、人間にはもともと菌やウィルスを持っており普通であればそれに打ち勝てるが、免疫が下がった状態では自分が既に持っている菌やウィルスにかかることがあるとのことだ。(なんかこれも前に書いた気がする、同じこと何べんも書いてたらすみません笑)
今回はそれが原因かな?と教えて頂いた。
なるほど。エイズって大変だね(2度目)

時間が空いたときに親に持ってきて貰った郵便物をチェック。必要そうなものは、給与明細、水道代の請求書、市役所の福祉課からのお知らせ。
市役所の福祉課からは障害者手帳の交付申請が受理されたので手帳を取りに来てという内容だった。今入院してんねんけど……??
電話をかけて話を聞くと、市役所の方が間違えてましたということだ。
病院で申請を行う際、「代理の方は居ますか?」と聞かれ母親を頭に思い浮かべたが母親1人では初めて行く市役所に行って貰ったりどこそこに行って貰ったり、スマホが使えず地図が読めず方向音痴でもあるのでさすがに「母親が居るがさすがに無理」だと伝えた。「年でもあるし…(上の事情を話した)」
その時に、病院の方が代理をしてくださることになり、そういえば委任状を書いたのを思い出した。
その為、申請した分については病院に届く筈だったが自宅に間違えて送っていたらしい。市役所も適当である。
障害者手帳の内容については病院に送り直し、
また自立支援医療の申請も昨日?市役所の方に届いて受理されたので、今日か週明けには病院の代理の方に届くと思いますということだ。
少しずつ申請書に関することは進んでいる。良かった。

体調は良くなった。今日もぐっすり寝れた。


2023年4月22日土曜日
 
 点滴(抗生物質+ご飯の代わりに栄養剤+色々)
 室内でレントゲン撮影

 CRP13.68

体重が49.9kg。

先生が来られ、血液検査の値では良くなってきており、レントゲンの結果でも心臓に溜まっていた水が少し減ってきているそうだ。また、どうやら結核に近いものに感染したのではないかということを教えて貰った。原因菌を特定するのには時間がかかり、まだ手当たり次第の治療となっているが今の治療が効いているようだからまだまだこの治療を継続していて問題ないと思います、とのこと。ただこの結核に似たようなもの(結核にも色々種類があるらしい)に感染していた場合、錠剤を半年程継続して飲み続けなければいけないらしく、その場合は頑張りましょうと伝えられた。
CRPの値も最終的には5くらいには下げたいね、とも伝えられた。まぁ調子良くなってきてるし大丈夫でしょう ←

母からラインがあり、過去一悪い状態の時に来て貰った私を見て、家帰っても涙出るわと……。
父からはお昼に母の方に「○○(私)からラインきた?」という連絡があり昨日も仕事が手につかんって言ってたわと伝えられ(いや仕事はしてもろて笑)
ホンマ変な時期に来てもらってマジでごめんなさいって感じだ(笑)

今日も元気。土曜日の午後は病院も休みで落ち着いている。見逃し配信の鬼滅を見よう。
作画がufotable頑張り過ぎててマジ映画並みになっててヤバいです。テイルズのゲームの作画も同じくらい頑張って? ←誰やねん
明日も日曜日でゆっくり出来そう。


 

2023年4月13日から4月16日の出来事


2023年4月13日木曜日

 血液採取

朝、先生が来られ経過を説明頂いた。血液検査の結果は悪くないとのこと。血液検査の結果の表をいつもくれるのだが、この表でエイズに関係するCD4の値は見れるのか聞いてみたら別の検査で確認してる値になるからCD4の値はこの表では見れないと、月曜日にその検査をするからその時伝えます、とのことだ。因みに、今のCD4の値は全然低いらしく、そもそもCD4の値は徐々に増やしていくものだから、外来に移った後も錠剤を飲み続けることで増えていくものだと教えて頂いた。
そのため、病気になりやすいのは変わらないらしい。エイズってなると大変なんだね。(他人事)
もしゲイの人がいればHIV検査は定期的に受けて欲しい、エイズ発症した後が大変だから、マジで思う。

また、もしかすると熱が出るかもしれないとも言われた。
私の免疫が上がってきており細菌やウィルスと戦って熱が出るかも、とのこと。(なんか前にも聞いた気がする)

取り敢えず、今日1日は頭がボーッとしていたが、病は気からと言うし、トレーニングはこなした。

んで、夜、案の定高熱が出る。
38.9℃。解熱剤を飲んでアイスノンをもらい熱を下げるように努める。
ってか、今思うと頭がボーッとしていたのは熱が出だした兆候なのかなーと。
ただ、熱が出ても私の体は結構元気なのだ。普通に寝る前までおっさんとくだらん話をしていたし。
おっさんは37.2℃とかの微熱でもしんどいなど言っているのに、熱に慣れてしまったんだろうか、気付くの遅すぎる。
解熱剤のお陰でぐっすり眠れはした。


2023年4月14日金曜日
 
 血液採取
 レントゲン撮影
 (予定には無かったが恐らく熱がでたから追加検査)

朝一、体温計ると38.5℃。
恐らく一旦解熱剤で下がってまた上がったっぽい。
ただおっさんもビックリするくらい体は普通に元気。看護師さんも若干笑っていた。大丈夫?言いたげに。
貴方の体バグってんちゃうんと思われているだろう。
普通に洗濯も終え部屋でくつろいでいると(というか、一応熱が出ているから今日は大人しくしとこうとベッドにいた)先生が来られた。
熱やその他に対応するため抗生物質などの錠剤を増やしましょうかと言って頂いた。
またレントゲンを予定に加えました、と言ってくれた。
リハビリの先生も来てくれたが今日はトレーニング控えましょうかと言って頂いたので、取り敢えずベッドで羽を伸ばす。時間沢山あるので色んな動画を見まくるぞ。

この日の夜の体温、39.1℃。もう熱ある状態が平常運転。
退院までには下がってくれることを願う。


2023年4月15日土曜日
 
 血液採取
 点滴5回
 (新しい抗生物質3回+ステロイド1回+解熱剤1回)

朝一の体温38.5℃。
さすがに連日熱が続いていたためか今日は体が怠かった。
あと全国的に爆弾低気圧の日だったらしい。鼻づまりもあり息がしにくい。ご飯を食べる時、鼻で息が出来ないからめっちゃしんどい(笑)
午前中の体温は38 ℃代だったが、午後からまた上がり39℃以上になる。先生からの指示で解熱剤は点滴で投与することになる。
錠剤よりも点滴の効きが良く、汗は凄くかいたが点滴後暫くして2時間後辺りからはすぐに元気になった。35.6℃の時もあったくらい。
点滴すげーな……。


そして夜、おっさんの優しさ再び。
チーカマくれた。占めて10本。
量が多くて出された瞬間笑ってしまった。

 私「ちょ、え、何(笑)」
おっさん「食べ飽きたからちょっとあげる」
 私「ちょっとの量じゃない(笑)こないだ1本貰って美味しかったけど、めっちゃあるやんか(笑)」
おっさん「ツレが持ってきたくれたけどめっちゃ量あるねん、2、3本ずつ食べとったけど流石に飽きてきた。」と。
チーカマが入っていた箱を見せてもらうと「給食用」「50本入り」の記載が。 私 : (確かに多い(笑))
一応有り難く頂き、
 私「あ、じゃあ私コンビニ行く用事あるのでその時適当に買って来るので好きなの選んでください」
おっさん「えーてえーて、気を遣わんでも」と笑いながら言われたけど
 私「あ、はい、まあまあまあ(笑)自分も食べれそうなやつ買って来るので○○さんが欲しいの無かったら私全部食べるから問題無いです(笑)」と私も笑いながら。

暫く後、コンビニ行って適当に買いおっさんにお返しができた。いつも仲良くして貰っていたので、来週退院と言われているのでその前に何かしら出来て良かったな、と(笑)

てか、ホンマに退院できるのか?(笑)


2023年4月16日日曜日

 血液採取
 点滴4回(抗生物質3回+ステロイド1回)

朝一の体温37.0℃。まあまあ。

体調は良いのでトレーニングした方がいいかなと思い少し行う。
朝コンビニに行く途中、エレベーターを使わず階段を使った。コンビニに行く前に2階に用事があり2階まで降り、3階にコンビニがあるのでまた階段で上がったが1階分上がるだけで結構しんどい。最近は熱が続いていたためトレーニングが出来ていなかったのだが数日サボるだけで体に負担が来るのを実感した。継続って大事だ。

あと、恐らく抗癌剤の副作用が出てきたのかな?
もともと抜け毛が多い方だがそれにしても抜け毛が結構あり、髪をすくう度に毛が抜けているので副作用が出だしたのだと思われる。
今朝、コンビニに言った時に(入院してから散髪していなくて頭ボサボサだからニット帽みたいなん被って帰るか)と思い、「医療向けケア帽子」しか売っておらずそれを買ったがその日に抜けだすとは。ナイスタイミングで(笑)
あと、よく見れば肌も結構乾燥しだしてきており皮膚の表面がひび割れみたいになってきている(あかぎれみたいに酷いものでなく薄皮が剥がれかけている感じ)。
この乾燥はアトピー体質によりもともと皮膚科から処方して貰っている保湿剤を幾つか持ってきていたのでそれで対応する。
今のところ目立った副作用はこれだけ。
他に同じ時期に出やすい副作用といえば爪の異常(爪が変形したり色素沈着をおこす)や手足のしびれが起きることもあるようだが、まだそれはみられない。
もう少ししたら出てくるのかな?
いずれの副作用も抗癌剤治療が終わると徐々に戻るようだ。戻るならまぁ……みたいな。心配してもしゃーないし(笑)
ただ抜け毛が面倒臭い。ドサッと一気に抜けてくれると楽だけど一本一本抜けるからなー、これもしゃーないけど(笑)最終的にうすらはげみたいになってしまうんじゃないだろうか。だとしたら嫌だなー。抜けるなら全部抜けて坊主の方が潔くていい(笑)


終わり

 

 

 

 

2023年4月10日から4月12日の出来事


2023年4月10日月曜日

 血液採取
 レントゲン撮影

朝一に先生が来られ、血液検査は回復傾向にあるとのこと。
また、足のムクミがだいぶ取れてきたので加圧式のタイツはもう掃かなくてもいい、というかムクミが酷い時を基準に選んだタイツの大きさなので、ムクミが引いた今では掃いてても意味がないから辞めましょうということになった(ヤッター)。代わりに、血栓などが出来やすいかもしれない、出来たら出来たでそちらの治療もしないといけなくなり後々大変になるから血液をサラサラにする錠剤を追加しましょうとのこと。そのため、出血には気を付けるようにと言われた。

同室、私の前方に新しい患者さんが入って来られた。
入れ替りが多い。
私はこの部屋で一番の古株になってしまっている。

本日は以上。


2023年4月11日火曜日

 血液採取

健康優良児のため書くこと無し。←何故入院しておる
ひたすら体力作りに努める。
(今後、同じ内容が続くかもしれない……。)


2023年4月12日水曜日

 下肢エコー

先生が来られ、せき止めに関する錠剤を減らそうとのこと。いずれは今飲んでいる錠剤もエイズに必要なもの以外は減らしていきましょうということだ。
ムクミも取れ、レントゲン撮影の結果でも肺に溜まっていた水が無くなっているそうだ。
退院は、体調が良ければ来週の週末になりそう。
明日、退院に向けてカンファレンスを行いましょうと言われた。
どうでもいいが、「カンファレンス」て……。横文字やめて普通に「話し合い」とか「会議」って言ってよー。今時の人だなー(笑)

下肢エコーは血栓なども無く問題無し。

また、3月の請求書を一時的に貰ったが、役所に申請しているもの(障害者手帳自立支援医療費など)がまだ届いていないためひとまず置いといてくださいと言われた。
請求書の金額的には貯金で賄えそうで安心した。
限度額適用認定書が無かったら一体いくらになってるんだ……。貧乏人にとっても救済措置のある制度があって日本はとても有難い。
アメリカとか、救急車で運ばれるだけで破産するくらい保険の制度がちゃんと機能していないらしいからな。

色んなことに感謝しつつ、退院に向けて頑張ろうと思う。

 

2023年4月6日から4月9日の出来事


2023年4月6日木曜日

 血液採取
 抗癌剤治療2回目

朝一に血液採取。
先生が来られて、私の肌を見て抗癌剤1回目の治療の成果が少しだけ出ている様に見える、肌が以前は凸凹していたものが若干滑らかになっていると仰ってくれた。今の抗癌剤が体質に合えば回数を重ねると痣自体もだいぶ色が吸収され抑えられるだろうとのこと。
ただ、まだ今の段階で外に出ると、病院内では病気で痣があるんだという風に他人からは認識されるが、いざ外に出て何も分からない第三者の人が見た時にやはり驚くだろからあと少し様子を見て2回目の治療を進めようと言われた。
体力的にはだいぶ戻ってきているから、この治療の後に可能であれば3回目からは外来に切り替えようとのこと。


2023年4月7日金曜日

 血液採取
 歯科

特に問題も無く1日終了。

歯科も問題無く終了。小さい虫歯になりかけの歯をついでに治療してもらう。恐らく歯科は限度額適用制度からはずれ普通に請求されると思うが、今後のことを考えて口の中は綺麗にしておいた方がいい。病気になってから歯磨きを凄く丁寧にするようになった。いい変化だ。

筋肉痛もだいぶおさまり運動を再開する。
体力も少し戻ってきた気がする。
持久力を上げるためには歩くのがいいらしくその通りにしていたが、無心で歩くのは時間の流れが非常に遅く感じて結構辛い。スマホで音楽を聴きながら運動をすることにする。


2023年4月8日土曜日

病院は午前中のみで午後からは休み。
日曜日も休みなのでここ2日は検査など殆ど無く済むだろう。

運動は階段の登り降りを少し。
1階から11階まで登るとやはり息切れはするがだいぶ楽に登れるようにはなっている。
継続して足の筋肉をつけなければ。特に太股。かなり痩せている。

日々のトレーニングメニューはサボってしまった(笑)

抗癌剤2回目の副作用も今のところ出ていない。
抗癌剤の薬が合っているのかな?
そのうち急に髪の毛抜けたりするんかな~と考え中。
その時はその時で深くは考えていないが、抜けても治療が終わればまた生えてくるみたいだし。
今は治療に専念だ。


2023年4月9日日曜日

特に無し。

平和な1日だった。
運動をすると眠気が凄まじく襲ってくるが、昼に寝ると夜が寝れないので何とか耐える。

抗癌剤の副作用により同室のおっさんの髪の毛が抜け始めたそうだ。
抗癌剤にも色々種類があり、副作用が出やすいものと出にくいものがあるらしい。私が受けている抗癌剤は副作用が出にくいとは先生から教えて頂いたが、結局のところなってみないと分からない。今のところ私は出ていないが。
ってか、今更ながら「おっさん」という呼称は失礼だな……。最初は感じ悪いと感じていたからおっさんとブログには書いていたけど、今では親しみを込めて○○さんと呼んでいる(笑)
副作用が出ている分、抗癌剤の本来の役割も果たしている筈なので良くなってくれることを祈るばかりである。


終わり。

昔の話 & 元彼の話 雑記


昔、私は家の中では明るく努めていたが、家から一歩出た外界では基本孤独に暮らしていたと思う。いわゆる内弁慶である。

幼少期の頃、私は多数の問題を抱えていた。
躾、家の事、学校でのおもらしの常習犯、性同一性障害(女性になりたかった)。

まずここで、躾について。
私が幼稚園の頃に母親が早々に他界し、何の由縁かそれ以来義理の母に育ててもらった。その為、実の母親の記憶は殆ど無く、この義理の母が私の中ではホントのお母さんって感じだ。
昔の私は躾がされていなかった。私には血の繋がった兄弟として姉が3人いるのだが、躾がされていないのが私だけではなく私含めこの姉弟皆が本能の赴くまま動物の様に育っていた。とにかく簡単に言うと反社会的なことも平気でするのである。
 (※余談※この血の繋がった姉の内、上の2人は家出?蒸発?したので、今の姉弟は義理の母親の連れ子である長女と、血の繋がった姉3女で、私含め3姉弟だ)
育ての母親はそれを矯正的に私達が世に出ても恥ずかしくないように躍起になって躾をしてくれた。その躾は時に激しくもあったが、今となってはそれは必要なことだったんだと感じる。

有名な方なのでご存知の方もいると思うが、ヘレン・ケラーをご存知でしょうか。幼少期に病気が原因で視力・聴力を失い話すことも出来なくなり、躾を受けられる状態でなかったため我が儘に育ったが、サリヴァン先生という方との出会いにより厳しい教育のもと、その後数々の功績を残した有名な方だ。
私にとって、この義理の母親はサリヴァン先生の様な存在だった。今ではこのサリヴァン先生(義理の母親)とよく喧嘩もするが(笑)
その為、幼少期の頃は躾がなされるまでは滅茶苦茶な性格だったと思われる。

家は、私はそれが当たり前で育ったが他人からすると滅茶苦茶である。
小さいアパートに大人数が住んでいた。
家は貧乏だった。子供の私はよく分からなかったが借金というものを抱え、時々家の電気が付かなかったりしていた。
貧乏の原因は実の両親にあり、母が死に、義理の母と連れ子である一番上の長女が増え、狭い家の中で大人達は火の車だったんだろうと思う。それでも苦労を見せず、私は家族が大好きだった。それでも無意識に何かしらのストレスは感じていたんだと思う。


次に学校でのおもらし常習犯について。
それは小学校に入って最初からなのか途中からなのかは忘れてしまったが、私はよくおもらしをしていた。
授業中、気付けば足を伝って生温かいものが流れている。暫くすると私の机の下は濡れていた。当然臭いもする。
学校ではこのおもらしがきいており、低学年の頃は皆無邪気でおもらしをする私にも普通に接してくれる子達が数人居たが、次第に年を重ねるにつれて、目立ったいじめこそ無かったが他の生徒や先生から腫れ物扱いをされていたと感じる。
結構厳しい子達からは「汚い」「臭い」と言われていた。
学校には行きたくなかったが何故か行かなければならないという使命感のもと行っていたが、
子供にとって学校が全てである場所に私の居場所は無かったかのように感じた。その為なるべく人と関わりたくなかった。恐らく私のコミュ症はこの頃から始まっていたのだろう。

そーゆー時によく本を読んでいた。本が友達だった。
1人でも楽しめる私の格好の的である。
(余談だが、最近本屋がめっきり減った。とても悲しい。地元のよく通っていた図書館も老朽化で無くなり移転したそうだ。恐らく規模は縮小しているだろう、残念過ぎる。kindleなんかに負けるな!)

好奇心はあったので知識だけが増えていった。
勉強はそこそこできた。でも普通の人が出来る当たり前のトイレが出来なかった。
頭は良いけど頭の可笑しい子、そんなレッテルが貼られた。

家に帰れば、おもらしをした日は当然母に叱られた。
家の外に立たされたこともある。
一度、病院で診て貰ったが腎臓や膀胱は正常、おもらしは原因不明。おもらしをするのは私の怠慢のせいかもしれないとも。怠慢ってなんだと思っていた。トイレに行くことが面倒臭いということだろうか。そうなのか。
私はただ、何故かおもらしをしてしまう時は地に足が着いたようになり動けなかった。それが怠慢なんだと。人が出来ることが出来ない。劣等感を感じた。
それでも小学校3、4年頃までは治らなかった。


小さい頃、女性になりたかった。
よく女装をしていた。
でもそれは恥ずかしいことだと分かっていたので外には出さなかった。

次第に自分という存在が分からなかった。
子供ながらに「消えたい」という気持ちが芽生えた。
その頃に、1人でぼーーとタンスにもたれているとよく分からない気持ちになり、魂が抜けたようなフワフワとした感覚に陥り「何処かに行きたい」と朧気ながら感じ、急に正気に戻るのである。そして「あ、自分まだ生きてる」と安堵に似た感覚を実感し、同時にまだ生きていないといけないんだなと子供ながらに思った。

それでも友達が出来た。おもらしも治った頃、私の過去を知らない転校生である。今では疎遠だがあの時仲良くしてくれたことはとても感謝している。

性同一性障害で女性に憧れていたため、男の子のすることが基本苦手だった。
女の子とよく仲良くなった。
中学生になり、とても仲良かった女の子に「好き」だと言われ、女の子と仲良くするのも考えものだなと考えるようになった。

高校は地元で一番頭の良い学校に進学出来た。
が、高校の頃は勉強についていけず成績は落ちていった。
高校は基本的に誰とも関わらず1人だった。
進学校のため大学に進む子達が沢山居るなか、適当に大学入試を受け、落ちたので適当に過ごすことに決めた。

今思うと、自分というものが確立されていなかったんだなと思う。
私は何になりたいのか、それが分からなかったんだなと。
今も分からないけれど、でもやらないといけないことは分かっているので進むべき道が分かっているから人生を歩んでいる。

誰かが居るから、頑張らないといけない。
それは病気になり入院して考える時間が山程有り分かった。




話は変わって、先に述べた通り私は本が好きである。

私が去年付き合っていた彼氏の話だが、
ある日、彼は私の家でアニメを見ていた。
私はあまり興味が無かったのでその時読みかけの本を読み始めた。
すると彼は私に「変わってるね」と言った。
私は彼の意図が掴めなかった。
彼はつまらないからアニメを見出して、私に構って欲しかったのだろうか。真意は分からないが、ただ本を読む姿を「変わっている」と表現された時に、(あ、この人とは合わないだろうな)と感づいた。

去年付き合っていたこの元彼の話。

彼は、言い方は悪いが恐らく盲信化だ。
ある宗教に入っていた。多分親代々その宗教なのだろう。彼の意志なのか、親が信じているからなのか、その辺は定かでないが、それが良いものだと思っている。
信仰心があることは私も良いことだと思っている。「信じられる何かがある」それは時に自信や力に変えてくれる。
ただ、私は最近の若者と同じく典型的な無宗教なので、この宗教に関して彼と数度揉めることがあった。
初めて彼が宗教に入っていることが分かったのは、初めて2人でご飯を食べに行こうと約束した日だった。

彼の地元で食べようということになり、私が普段入らないイタリアン系のお店に食べに行った。
中はお洒落で、8人程座れる大きなラウンドテーブルの席に通された。
私達2人の両隣には勿論他人が座っており、距離は離れているが耳をそばだてると話し声が辛うじて聞こえる程の距離。
ラウンドテーブルのため、コロナ対策でアクリル板があったが前方に座っている人の顔も伺えた。前方は小さい子供連れの若い家族3人、隣は女性2人、逆隣はSNS女子(食べたものをアップする人)、そして私達2人。

先に注文を行い(サラダやピザ、パスタなど)、私は慣れない雰囲気にそわそわし食事が来るのを待っていると、彼が「アンケートに応えて欲しい」と言い出した。
あまりにも突拍子で少し驚き「え、いいけど?何のアンケート?」と返すとハガキサイズ程の紙を渡された。
そこには「今の世の中(政治やったかも)に満足していますか」みたいなことが書かれていたと思う。
あまりにも場にそぐわないアンケートだったので
「え、何これ…………?」と私は固まった。
彼は「公明党のアンケートやねんけど……」と語尾が小さくなっていたが、私はその時すぐピンと来なかった。
(公明党って何処だっけ……、何か、何かヤバイ、いやヤバくはないが何か絡んでいた、なんやったっけ、あんま好きじゃない、いや、でも初デートに政治の話、え、何これ訳分からん)
思考停止して諦めた私は率直に聞いた。
公明党って何やったっけ、何か絡んでなかった?」
「あ、創価学会……」


(あーーーーーーーーーーーーーーー)

 ♪お手々のしあと しあを合わせてしあわせ な~む~
                そうか~がっか~い♪

 あ そ こ か 


 「ごめん、わしあんま好きじゃない、むしろキライの部類……」
「あ、じゃあ大丈夫」と言って彼は直ぐ様取り下げた。

その後がドギマギした。

(え、初デート初っぱなからこれ?どゆこと、勧誘?誘われてるの?でもアンケートやし、いや、アンケートの内容が意味不明、なんでいきなり政治……、何考えてんだコイツ、え、めっちゃ分からなすぎてヤバい、声大きいし、下手したら周りに聞こえて恥ずかしい、てか、前に居る男の人もしかして聞こえてる?わしの表情読んでる?!ちょ、やめ、ハッズ、ハッズ)

元彼「……嫌いになった?」
 私「え、いや、嫌いとかじゃなく、そんなんで嫌いになったりせんけど、…………信仰心があるのは良いことやと思ってるから、でもこれはちょっと困る……。」
元彼「ごめん」 

(ごめん言うなら初めから言うなや、どーゆーつもりやねん)

このタイミングで食事が来た。

 私「取り敢えず食べんで」私は少しイラッと感じながらもなるべく態度に出さずに言った。
黙々と食べる2人。
サラダはまあまあ、ピザは美味しい、美味しいけど何か素直に美味しいと言えない。
ここで沈黙を破ったのは私だ。
 私「あのさ、こーゆーの前付き合ってた人にもしたん?」
元彼「こーゆーのって?」
 私「いや、だからアンケートに応えて欲しいとか、勧誘的な……」
元彼「してない」
 私「そうなんや、良かった。……絶対他の人にしたらあかんで?」
元彼「え、なんで?」 私 : (こいつ絶対しとるわ……)
 私「いや、何でって、分からん?めっちゃデリケートな話やねんで宗教って。あんまり話しない方がいい。土足で人のデリケートな部分に入ってることになるから」
元彼「でも良いことやし」
 私「○○(元彼)はそれを良いと思ってても他の人が良いと思ってるか分からんやん、有り難迷惑ってあるねんで」

話が噛み合わない。
正直話すのが面倒臭くもある。一応反省してるみたいだからこの話は切り上げた。

が、偶然ってあるもので、食事を後にして街を廻ろうということになり大きな公園に来たが、そこで同じ宗教の人が気弱そうな方を大きい声で勧誘してる場面に出くわした。
普段こんな場面に遭遇することはないのに何故今日だけ……。それともこの地域はこの宗教の方が多いのかなと勘繰ってしまうほどにタイミングが悪く、元彼と私は聞こえないフリをして、その辺でエアガンを手に遊んでいる子供達を見ていた。


2度目に宗教に関して揉めたのは私の誕生日の翌日だった。

誕生日の日、彼はケーキを持って祝ってくれた。その日は一緒に過ごし、プレゼントにユニクロのシャツをもらい、まあまあいい誕生日を過ごせた。
翌日の朝、いつも通りご飯を食べ、9時頃に彼が「行きたい所がある」と言い出した。
 私「ん、何処に?」
元彼「楽しいところ」

前日誕生日だった私は期待するわけである。
何処か連れて行ってくれるのかなと。

昼前に家を出ることになり、外出する前に私はシャワーを浴びたかったため「ちょっとシャワー」と言って入ろうとすると、急いでいるのか「入るんやったら早い目に入って欲しかった」と少し愚痴をこぼされた。
(え、何、時間制限あるの?先言ってよー)と思いながら
「すぐあがるから」といってシャワーを終え、用意をして
彼の言う「楽しいところ」に電車で向かった。

電車を降りそこに向かう途中、人が増え始めた。
どうやら皆同じ場所に向かっているようだ。
そして私達2人も目的の場所はどうやら同じようである。
少し人の多い中、案内看板?を見つけた。
内容は忘れてしまったが「ふれあい広場」的な台詞が書かれていた。
「ふれあい広場」であれば全然良いが、もっとこう、ん?と思わせるクサい台詞だったことは覚えている。

ここで私が何か察知した。

な ん か お か し い ぞ

「楽しいところ」に向かっている筈が変に胸が動悸し始めた。

やがて目的地に着いた。
そこは水族館で、目の前に広場があり、その広場で多くの人が集まり公明党の立候補の人が演説をしていた。
ちょうど選挙の期間だったのだ。

私の中で「楽しいところ」は水族館であり、彼にとっては演説を聞くことが楽しいことだったのだ。
違いに愕然とした。

私は何も言わず暫く黙って彼と演説を聞いていた。
立候補者の生い立ちからなぜ立候補したのか、より良い街にしたい、うんたらかんたら、良いことを言っていた。

けれど私は次第に我慢が出来なくなって少し離れた。

元彼「どうしたん?」
 私「いや、ちょっと……」

徐々に苛々し、結局私が爆発した。
 私「あのさ、わし前に言わんかった?嫌いだって。なんで連れて来たん?」
元彼「一緒に来たかったから……」
 私「一緒に来たいて、嫌いや言うてるやん、こんなとこ連れてきて、怒る思わんかったん?」
元彼「ちょっと思ったけど……」
 私「誕生日の翌日にさ、こんなんやめてくれへん、めっちゃ腹立つんやけど」
元彼「ごめん、……じゃあ帰ろう」
 私「うるっさい!お前が来たい言うたから来てん!最後まで聞いて帰るで!!」

私、聞きたくないのに聞くでと言うてぐちゃぐちゃである。
取り敢えず最後まで聞いた。
いや、苛々しながらだから話半分で聞いたけど。
その間に廻りの人を観察した。
恐らく立候補者のシンボルカラーは黄色である。
広場に集まって来ている人達も各々何かしら黄色のものを携えていることに気付いた。ハンカチ、タオル、向日葵の造花、などなど。
なんか同調圧力なのか集団心理なのか、よく分からないが気持ち悪いものを感じた。
「今、ツイッターでトレンドに上がりました」と司会者が言う中、廻りからは歓声が上がり私は急激に冷めていった。

廻り : わーー、パチパチパチパチ
 私 : しらー
元彼 : 私がぶち切れてるから恐らく気が気でない様子

 何この温度差。

演説が終わったので帰ることにした。
その途中で恐らくまだ歩きだし始めたくらいの小さい子供がいた。普段なら「可愛い」だが、その子が黄色いワンピースを着せられており、もうなんかウンザリして「キモチワルイ」と私の口からこぼれた。

帰る途中、私の説教タイムである。
 私「あのさ、昔から言うやろ。政治と野球と宗教の話はすんなって。何でか分かるか、皆意見持ってんねん、デリケートやねん、喧嘩するからや。わし興味ないから、わしの前でこの話は2度とすんな、わかったな。ってかさ、最初に聞いたやん、何処行くんって、その時言えよ、そしたら正直に言うとったらこんなことにならんねん、正直わしが行くか行かんかはその時じゃないと分からんけど、政治に興味を持つんは良いことやから、行きたいって言うとったら行くかもしれんやん、何がムカつくってな、何処行くんって聞いた時にわしが嫌いやって言ってた所に騙して連れてきたんが一番腹立つわ、わしの選択肢を奪うな、分かったか、ちょっと距離置こう、感覚が違い過ぎる、ってか別れたいん、もーなんなん、意味が分からん、楽しいところ言うたら水族館の方だろう~~~」

久しぶりにぶち切れた。

一応彼は反省している様子だったが。
まだ苛々したので駅前の小さい喫茶店(定年退職して自由きままに個人でやってますーという雰囲気の良い喫茶店)に無理矢理入って気持ちを静めた後に、
「じゃ、お疲れ」と言って電車で彼と別れた。

その夜、ラインで彼から謝罪メッセージが送られてきた。
ここで許す私もアホなのかと思う。

結局、彼とは色々ありクリスマスの翌日12月26日に別れた。
翌年、私がエイズであることが分かったので、直近で付き合っていた彼にはすぐ伝えたが、心配してるのかしていないのか自分のことだけ考えているのか(いや、既に別れていたからいいのだが)よう分からんメッセージをもらい、多分縁は切れただろう。



なんやこれは。

人生色々ある。
いらんこと書けるほど入院が暇だ、というか体力が戻ってきた。なによりだ。
エイズだが彼氏募集中 ←黙れ

2023年4月3日から4月5日の出来事


2023年4月3日月曜日

 血液採取
 下肢エコー
 レントゲン撮影
 皮膚科診察
 リハビリ相談
 点滴4回

朝一先生が来られ、新たに学生の方1名が担当になったとのことで一緒に挨拶に来られた。
血液の結果は良好、らしい。(皮膚科で診察して頂いた先生の見解と異なるが、血液内科の先生が主治医なのでこちらを優先する)
その為うまく行けば木曜日に2度目の抗癌剤治療を始めることと、点滴も辞めることが出来れば辞めましょうということになった。点滴だったものは全て錠剤でまかなうということだ。
そうなればだいぶ楽になる。
下肢エコーは、ムクミが酷かったため足に異常が無いか見て貰ったが問題なしとのこと。
また、リハビリは私の現在の状況を点数で表すと満点になると言われた。 ←え
私生活を送るのには問題ないそうだ(笑)
ただ私の要望により、足の筋肉の衰えのためにメニューを考えてくれるということになり、それを自主的に行い筋肉を付けていきましょうということになった。
有難い。退院に向けて着実に進んでいると思われる。

ただ先に述べた通り、血液内科の先生と皮膚科の先生で意見の食い違い?があり、皮膚科の先生からは白血球の数がむしろ下がっている→1度目の抗癌剤の影響なのか抵抗が弱まっている?→その為2度目の抗癌剤で何も無いといいねと言われた。
主治医は血液内科の先生でそちらが専門だから任せましょうか、ということだ。成る程。
色々な意見が聞けて素人の私は勉強になる。
そして今までの血液成分の結果の表をもらった。

殆どが午前中に行われ忙しかった。

病室に戻ると、前方の方が身支度を行っていた。
急遽退院することになったそうだ。話を聞くと人に伝染るかもしれないウイルスを持っているらしく、他の人にも伝染ると大変だから病院側から「個室が今空いてないから一時的に退院してください」と言われたらしい。
治す前に退院してくれって、めっちゃ気の毒。そんなこともあるんだな。
そしてその方が退院した後、部屋を消毒するからと病室の残り3人は退室させられた。
めっちゃ色々ある。
談話室で同じ病室のおじいさんと色々話をする機会が出来て良かった。

本日は以上。


2023年4月4日火曜日

 特に何も無し。
 点滴4回

今日は筋肉痛で死んでいた(笑)

同じ病室のおっさんがめっちゃ喋ってくれる。
逆に気を遣うくらいに優しい。
お風呂の時間を譲ってくれたのがめっちゃびっくりした。

おっさんの風呂予定 18:00~18:30
続けて私の風呂予定 18:30~19:00

なのに、おっさん18:15に上がってきて
おっさん「○○さん、早よあがったからゆっくりしてきー」
私「え、ちゃんと入ったの?カラスの行水やん、大丈夫?」
おっさん「大丈夫、いっつもこんなんやねん、行ってきー」
私「すみません、有り難うございます、申し訳ないです、行ってきます」って。


なんか、色々してもらってて有難い。


2023年4月5日水曜日

 今日から点滴無し。
 明日の抗癌剤治療に備える。

体調がだいぶ戻り、家のことが心配になり外出許可は降りないか先生に尋ねてみたが、昔は途中外出出来ていたが今はコロナの影響で帰宅途中に感染して持って帰ってきても困るから外出は出来ないとのこと。
残念……。
明日抗癌剤入れてあと2週間の入院かな。

終わり。

2023年3月30日から4月2日の出来事



2023年3月30日木曜日

 造影CTの結果
 点滴5回(全体的に減ってくれた、だいぶ楽)

先生が来て説明色々してくれたけど、2、3日後にまた熱上がるかも?とのこと。
(えーー、またーー?)
あと、前日の夜にまた熱が出たのだが、今飲んでいる錠剤が原因かもしれないから海外製のシロップの様な液体に変えましょうと言ってくれた。

ただ、今のところ順調らしい。
なら良し! ←


この日の夜中1時くらい。
気になることがあり私がおっさんにぶっ込む。
私「抗癌剤治療を受けた後のトイレの説明は受けられました?お小水の場合も個室で用を足して終わった後はフタを閉めて必ず2回流してください。私や○○さんよりも重症な患者さんがいらっしゃると思うのでその方達に影響が出るとマズいのでそこ守った方がいいです」と。

抗癌剤を投入した後の患者の排泄物には、抗癌剤が混ざり、男性の場合はお小水をする時は立って行うがこの時飛び散ることがあるらしい。その飛沫が他の人に影響がでる場合があるため私は注意を促した。(お節介だな……)

おっさんの話を聞くと、入院は3回目程で前は別の病院に入院していたらしい。そして今回この病院に来て、所変われば勝手が違うようで、そうゆうのは知らなかったらしい。というか、「え、知らんかったん?」「看護師ちゃんと説明せえよな」とお互い文句を言い合い、別の病院での入院体験やらなんやかんやを、夜中の暗い場所でヒソヒソ話し合い何故か急に距離が縮まった。
私「夜中に長いことすみませんでした」
おっさん「いえ、またお話しましょう」など交わし会話を終えた。

……おっさん良い人だった ←

本日終了。


2023年3月31日金曜日

 血液採取
 点滴5回(最近はこの回数に安定してきた)

先生が病室に訪れ、ムクミが取れにくいので利尿効果のある錠剤を増やすので飲み薬として飲んでくださいと言われた。
体重制限でアスリート気分を地味に楽しんでいた私は、
(結局、利尿剤投与と同じことするんかーい)と
今までの頑張りがあんま意味ないことになったので少しばかりショック。まぁ体重制限言うても、徐々に体重は少しずつ落ちてきていたから52kgの壁をキープするのは最近ではだいぶ楽になってきていたのだが。

そして次は、血糖値測定は安定してきているので今日から中止しましょうと言われた。
こっちも食事制限頑張ってたのに!
……私は制限が入ると燃えるタイプと分かった。←だから何
んで先生に、血糖値上げないように個人的に頑張ってたんだ、みたいな話をすると
先生から「それあんま意味無いですね」と言われた。

撃沈。

この日は久しぶりに間食した(笑)


前日に言われた海外製のシロップの様な飲み薬が
絵の具の黄色をして喉にまとわりついて気持ち悪かった(笑)



2023年4月1日土曜日

 血液採取
 点滴5回

4月1日だからなのか、スーツを来た若い男性女性がゾロゾロ歩くのを見た。新年度ですね。
姪っ子甥っ子は春休みで羽を伸ばしているのかな。
新学期の始まりか。
桜も見頃の時期なのかなー。


この日の朝、新しい先生が1人担当に加わるということで挨拶にいらしてくれた。凄く丁寧だ。
カポジ肉腫について調べたいのかな?
その辺は分からないけど。

以前、カポジ肉腫について説明を受けた際に、この病院ではカポジ肉腫の患者を受けるのはとても久しぶりなんだということを教えて貰っていた。過去には結構な数を受け入れていたが、最近はめっきりいなかったらしい。
「過去」がどのくらいなのかは聞いていないので分からないが、10~20年くらい前と推測する。もっと前かも?
取り敢えずなんでもいいや。

1人の患者に3人の先生が担当してくれることってあるんだな。

別の担当の先生が来られて、今後の計画を説明して頂いた。
1回目の抗癌剤治療は今のところ順調なため、2回目の抗癌剤は早くて来週木曜日に行うとのこと。
また、体調に変化は無いか(怠さなど)聞かれたので、怠さは有るが体調は問題なく元気であることと、ずっと寝たきりだったため身体がバキバキで退院時にすんなり動くか心配であることを伝えると、月曜日に少しリハビリを入れましょうとおっしゃってくれた。

またムクミが酷いから加圧式のタイツを履いて貰うとも言われた。(嫌なことばっかさせる←)

とにかく、ここの先生方は説明をするところはきっちり説明して頂けるので患者としてはとても安心する。

最近は連日、調子の良い日が続いている。
皆様のお陰です。


2023年4月2日日曜日

 点滴4回

土日は病院も基本休みのため、検査もなく落ち着いていた。

少し身体を動かすことを個人的に始めた。
病室が11階。11階から階段を降りて、また11階まで階段で昇る。
太股が石のように重く上げるのが辛い。
筋力がとても下がっているのを実感した。
今日から調子の良い日は階段の登り降りをしようと思う。
退院に備えよう。

11階に着くと窓からの風が気持ちいい。

本日も調子は良かった。



追記

睡眠時、また不思議の国のアリス症候群になる。
今日は自分自身の舌だった。最近口のなかでばっか起こるな……。
舌がとても大きく感じる。舌の付け根から口を飛び出し胸元のところまで大きくなる。とても石のように重い。
文章にすると化け物だな……。


この無いものが有るように感じる感覚は、幻肢痛の感覚と通じる所があるのだろうか。
幻肢痛は元から有ったものが無くなった時に、有るものと感じるものだが、似たものを受ける。
素人感覚だからよく分からないが、一応記録として残しておく。


「脳の中の幽霊」という本が有るらしい。
また読んでみよう。

 

気分はアスリート 雑記


私は現在、体重制限と食事制限が掛けられている。
厳密に言うと、病院側から「守れ」とは言われていないのだが、ある基準値を越すとペナルティが課せられる。

まず体重制限について。
52.0kgを越すと利尿剤を入れられる。ムクミの原因になる体内の水を出すためだ。
この利尿剤がかなりの頻尿になってキツイ。
最初、熱が高く体調が悪い頃は利尿剤の効果が分からなかった。しかし、体調が良くなった時にはさっきトイレ行ったのにすぐさま尿意が来る、これの繰り返しだ。
便座に座り1回用を足した後、暫く座っていたらまた出る。とめどなくエンドレス。
最近では、利尿剤を打つのが嫌になり体重を気にし出した。
汚い話だが、お通じが悪かったなと感じる日には、トイレの便座に座りウォシュレットの強度を最大にして肛門から水を取り入れ中の排泄物を無理矢理出す。そーゆーことまで出来るようになった。
病人は体重制限を気にするアスリートである。


次に食事制限について。
様々な点滴投与により私の血糖値が上がった。血糖値を200越すとインスリンを打たなければならない。
それを回避するために個人的に食事制限をもうけている。
基本的に間食はしない。
出されたご飯は、まず最初はサラダ系から食べる。食べる時はよく噛んで、出来れば30回ほど噛んで食べる。次に魚や肉系、味噌汁などがあれば流し込み、間にお粥を少し挟むが白米系は血糖値が上がりやすくなるので必ず全部は完食せず半分ほど残す。
これで現在血糖値は130くらいをキープしている。

入院時初期、口が寂しくて甘い物を大量に買い込んだ。
コロロ、Jagabee、マスカット&ソーダ味のグミ、チョコレート系の色々な種類のお菓子が入ったアソートパック、初めて買ったミルコア←飲みたかったやつ。
それらが私を誘惑してくる。
けど私は負けない。 負けない! ←


ほんと化学療法というものは効き目は即効性があり抜群なのだが、副作用が出る人はもろに出るので厄介だ(笑)
いえ、病院の皆様には日々感謝しています。
ただ、ほんとその都度色々出てくる(笑)
頑張ろう~。

2023年3月27日から3月29日の出来事


2023年3月27日月曜日
 血液採取
 レントゲン撮影
 点滴

点滴は
朝一抗生物質1回
炎症作用を抑える点滴1回
抗生物質の種類変えて3回(朝、昼、晩)
血圧を保つための点滴1回(6時間かかる)
何の効果か忘れたけど点滴2回(足りないものを補うやつだったと思う)
計8回


また、毎食前に血糖値を計らせて下さい、と言われた。
必要に応じてインスリン注射をしましょうと。
もともと血糖値が高い体質ではないが、色々な点滴で血液検査により血糖が高くなっているそうだ。
糖尿病になってしまうほどまでにはならないが高い時にはインスリンを打って下げた方が将来のためになるということだ。
こちらを立てばあちらが立たずだなー。

んで、アホが(私)血糖値上がっててインスリン注射打たなあかんかもしれん言われてるのに、いつもの習慣か何も考えてなくタリーズで抹茶リスタ(抹茶のシェイク)を買って病室で飲んでいた。
んで、看護師に「食事制限受けてますか?」と言われ、
アホ面で「え、受けてないけど……?」と答え、
「血糖値高くなってるのでインスリン注射を打たないといけないときは食事制限が入ります、間食も出来なくなると思います」と言われ、
ここで、 抹茶のシェイク飲んでる場合ちゃうやん!!
とやっと気付いた。アホ過ぎる。
今日だけ飲んでいいですよと許可が降りた……。
明日高ければインスリン ←え

また、夜、色々やっている内に正座をする体勢になった。
いつもは普通に出来る体勢が今日は脚全体がパンッパンでしずらい。
ここで初めて自分がかなりムクんでいる(水を貯めている)ことに気付いた。
取る量多くて出す量が少ないとこんなに違うんだと実感してビックリした。そりゃ利尿剤使いましょう言うわ……。
看護師の方に、ベッドの脚の方を上げとくといいですよ、と有難い助言を頂いた。もう一つは加圧式?の靴下を掃くのもいいと教えて頂いたが、普段靴下を掃いたりすると気持ち悪くなり、
また昔(スリム体型目指すねん)と意気込み一度試したことがありその時とてもしんどかった記憶があるので、脚を圧迫するのは無理過ぎて無理なので靴下は断念する。


2023年3月28日火曜日
 血液採取
 歯科
 点滴

朝食の時に、2、3口食べて貧血のようになりご飯が食べられなくなる。ご飯の量というか、摂取する量が多く、排泄する量が少ないので無意識に身体が拒否しているのかと思っていた。
その後呼ばれるまではずっと寝ていた。
先生が来て、血液成分を確認すると良くはなってきているが、抗癌剤を投入したことで血液の生成が妨げられまだ貧血になりやすい状態だから輸血しましょうと言われた。
首のカテーテルはまだどうするか検討中とのこと。
まだ今の点滴で具合は悪く無いためそのまま続行することになった。

ただ昼頃、点滴の数が多いのでどうしても1日仕事となることがあり、点滴針をもう1本刺したいということになったのでお任せした。
ただ、お任せしたはいいが入らない。(刺したが血管に入らず失敗)私の血管が刺しにくいというのもこの前に聞いたから分かっている。
その看護師に言われたのが「私も次刺せるか自信が無いのでちょっと相談してきます」とのこと。
(自信がないって何……?)
ここは医大病院であるから、看護師は若い方が多い。
まだ看護師として成長段階何だろうというのも分かっているが、何か自分がモルモット扱いを受けているように初めて感じた。
(あ、私、将来を担う学生やなりたての看護師の実験体や参考資料なんだ。) 別にええけど。
(医大病院に入院することはこういうことなんだな……。
ベテラン来てくれよ……。) 別にええけど。

歯科は問題なく終了。歯が綺麗になって満足。

点滴は
抗生物質3回
ステロイド1回
輸血1回
足りない血液成分を補うものを1回
血液をサラサラにするもの1回
計7回


2023年3月29日水曜日
 血液採取
 点滴

点滴は
抗生物質3回
ステロイド1回
抗生物質 種類別の2回
輸血1回
計7回

これと言って書くこと無し。
今日は調子良かった。

以上。

 

 

入院前、入院中、色々あったの……。雑記

それをつらつら書いていく。

まず2023年3月5日 入院する前日。

私はネットで慣れないことをしていた。それはネットでの売り買い。しかも売り手の方。

ことの発端は去年の8月頃にテレビを購入したことから始まる。
今までは24インチのPCモニターで十分だった。TV見ないし別にチューナーなくてもええわと。
しかしその頃GEOがだなぁ、格安でテレビ売りまっせと広告を出し私はまんまと嵌まったのである。51インチ?(49くらいやったかも)のテレビ、ンフ。
24インチのPCモニターはその日からお役御免となった。

PS3PS4→PS5で使用してきたのでかなり年季が入っている。12年くらい使ったものだ。
でもまだまだ使えるし愛着あるしジモティーというサイトに出品し他の人に譲ろうと考えた。
5000円で。(譲るという言葉が適切かは知らんが私の愛情はこもっているので譲るが正しい!)

でだ、9月頃から出品し始めなかなか買い手がつかない。
たまにくる問い合わせは「お値下げ可能ですか」が多く「値下げは対応していません」と返答すると音信不通になるクソばっか。(いや、5000円で値切って来んなや)とさえ思っていた。
その後、暫く問い合わせがなかったが、年を跨いで2月中旬頃に来た久しぶりの問い合わせには「4000円なら即決で買い取りします」の謎の上から目線の問い合わせに辟易し、商品の説明分にやっと ※値下げ不可 の1文を追記しようという考えに至る。
その後2月末にやっとまともそうな人が連絡をしてくれた。
がしかし、私はその頃既に病名が分かっており体調不良も酷かったので
「体調不良のため直ぐ対応するのが難しいです。お急ぎの場合は他の出品者様に当たってください。待てる場合は対応致します」と伝えたところ「待てます、ですがどれくらい待つことになりますか?」と丁寧に聞かれたためありのままを答えた。
「現在癌を患っており遠方での取引が難しく約束が出来ない状態です。私の家の近場であれば、コンビニや薬局の店前だとすぐ対応できると思いますが如何でしょうか」と返事をすると快く受け入れてくれた。
なので、その後のやり取りで取引の日時と場所は、
 3月5日 薬局の店前 に決まった。
初めての取引が決まったので嬉しかった。ウチのモニター大事にしてくれよ……、と貰った5000円を握りしめて。

んでだ。(まだあんのかい)
こないだ、私のモニター買ったやつがそっくりそのまま出品してんのを見つけたの!!
え、何これ、と変な感情になり、しかも使ってる写真が私がアッブしたものと全く同じで商品の説明も全く同じ。

買った後は買い手の自由だ。それは承知している。
しかし私の怒りはおさまらない。
私はクレーマーに変貌した。

以下ジモティーでのやり取り

私「すみません。取引が終わった後なのでその後どうするかは買い手の自由だとは承知しています。
ただ、売り付けるときに、人が使ってある写真をそのままアップするのは常識にかけています。せめて自分で写真を撮ってください。スマホで直ぐです。文章も全く同じで気持ち悪いです。別にいいけど」

続けて私「あと、一つ助言です。ジモティーで買うなら質はあまり求めない方がいいです。人それぞれ価値観が違います。私はこのモニターで満足していました。質を求めるならジモティーではなくちゃんとした店頭でお買い求め下さい。以上。

相手「すみません。すぐに消します。」

私「すみません、ジモティーに出品するなとは言っていないのでそこは大丈夫です。価値観が違ったという風に認識しているので。ただ、写真は変えてもらいたい……。手抜きしないで……。面倒臭くてすみません。要らないものを売り付けて申し訳ありませんでしたm(_ _)m」

やり取り終了。
取り敢えず一段落した。

何か、人の価値観は全然違うということが分かる出来事だった。
私はもともと貧乏で自分のものが少なかった。その為、自分が買ったものはなるべく大切にしている。あのPCモニターもそうだ。
だが人の手に渡ればゴミ同然何だなということを実感した。
こーゆー他人とのやり取りには自分の価値観で考えるのではなく、客観的に捉えられるようになるのが大事なんだなと感じた。
値下げを要求してきた人も、その程度の代物だと思ったのだろう。
だいぶ勉強になった。




2023年3月9日木曜日

入院中、心当たりの無い電話から着信があった。
仕事の電話だとマズいと思ったので折り返したところ、繋がったのは警察だった。

ここで1つ私の癖を紹介しよう。かかってきた電話には絶対名乗らない(仕事中は○○会社の○○です、としっかり答えてしまうが)。
その為、折り返した時も相手の素性が分かるまでは名乗らない。それを徹底していた。

最近変な電話が多い。ヤマト運輸宛を装ってかホントなのかそこは知るよしもないが、「不在連絡が入ってたので」「再配達お願いします」こーゆー電話が謎に多い。多すぎて個人情報、名前だけでも入手しようとしているのかと勘繰ってしまうくらいだ。その時は「番号間違えてますよ」とだけ返答することにしている。

母親には「息子が死にかけで100万振り込んで、という電話が掛かってきても絶対対応しないでね、」と伝えてある。

話を戻すと、折り返した先は警察だった。
何で警察がかけてくんねんと。
そこで私の癖が勃発。
向こうから「名前を教えてください」と言われた、
「え、掛かってきたから折り返したのに警察は私が誰か分からないんですか??」と。
相手は若干切れ気味で「私はあくまで電話対応の引き継ぎをしているのでお名前を教えて頂かないと誰がどういう要件で貴方に電話をかけたのかがわからないのです」と丁寧に説明してくれたが私は聞く耳持たず
「取り敢えず何か用事あるならまた掛けてきてください」と言って電話を切った。

直ぐ電話が掛かってきた。
「自転車が見付かりました。」と。

実は1ヶ月前、2月上旬に自転車を無くした。(盗まれたといっていい、鍵を付けっぱなしだったから)
当時、既に体調が悪かったので自転車が無いのはかなりの痛手だった。どこを行くにしても歩くしかなく、暫く我慢していたが身体が持たないことに気付き、新しい自転車を買った。

紛失届けを出していたのが、入院中に見付かったのである。
私では対処出来ないため親に頼むことにした。
無くした自転車が見付かったので取りに行って欲しい、と。
それが昼頃。

同じ頃姉からラインが来た。
テザリングの仕方を教えて欲しい」と。いや、勘弁して~と思いながらもこっちも対応した。
ラインでは面倒臭いので直接電話をした。
この姉は次女である。
次女には入院していることは伝えていなかったためここで伝えた。
次女「何、何の病気?」
私「まだ秘密、今度伝える」
次女「何、あんた死ぬの?」とさらっと言われ、思いの外笑ってしまった。
私「まだ死なへんよ(笑)、余命宣告されたらその時は伝えるわ」と答えた。
このあっけらかんと言うか、何でもないわと思わせてくれるところが次女の好きな所だ。

逆に、長女にはいつも暗い話や相談に付き合って貰っていた。
長女は優しいのだ。私は頼りすぎだな、申し訳ないなと思いながらも、いつも重い内容を相談してしまっている。
次女には対応出来ない内容にも的確に答えてくれ、
病気のことを伝えたのも長女が一番先だった。少しアプローチの仕方は異なるが(笑)
私「病気になったあとでも入れる保険ってあるの?」
そりゃ、そんな聞き方されたら「何の病気になったん」て誰でも聞くわ(笑)
で、その後電話する機会があり、ワンワン泣く私に付き合ってくれた。
とても感謝、というか、言い表すのが難しいが……
結局感謝している(笑) 語彙力(笑)

この違ったタイプの2人の姉がいて私は幸せだな、と感じた。

話を戻し自転車であるが、夜、両親に対応して貰った。
見付かった自転車が本当に私のものか確認してもらいたいと、母のラインを使って写真を送って頂いた。
写真の自転車はまさに私のものだった。見るも無惨だったが(笑)
前かごが無く、とてもほっそりしていた。
防犯登録番号の箇所は読めなくされているようだが、買ったお店のシールが貼ってあり明らかに私の自転車だった。
確認が撮れたので両親に引き取って貰うことになった。

両親にも頼り、とても感謝である。
1人では生きて生きていけないんだなと感じた。

3月9日は色んな所から電話がなる忙しい1日だった。

雑記終わり