a patient (-tree)

エイズ&カポジ肉腫になった人の入院記録です。雑記あり。

昔の話 & 元彼の話 雑記


昔、私は家の中では明るく努めていたが、家から一歩出た外界では基本孤独に暮らしていたと思う。いわゆる内弁慶である。

幼少期の頃、私は多数の問題を抱えていた。
躾、家の事、学校でのおもらしの常習犯、性同一性障害(女性になりたかった)。

まずここで、躾について。
私が幼稚園の頃に母親が早々に他界し、何の由縁かそれ以来義理の母に育ててもらった。その為、実の母親の記憶は殆ど無く、この義理の母が私の中ではホントのお母さんって感じだ。
昔の私は躾がされていなかった。私には血の繋がった兄弟として姉が3人いるのだが、躾がされていないのが私だけではなく私含めこの姉弟皆が本能の赴くまま動物の様に育っていた。とにかく簡単に言うと反社会的なことも平気でするのである。
 (※余談※この血の繋がった姉の内、上の2人は家出?蒸発?したので、今の姉弟は義理の母親の連れ子である長女と、血の繋がった姉3女で、私含め3姉弟だ)
育ての母親はそれを矯正的に私達が世に出ても恥ずかしくないように躍起になって躾をしてくれた。その躾は時に激しくもあったが、今となってはそれは必要なことだったんだと感じる。

有名な方なのでご存知の方もいると思うが、ヘレン・ケラーをご存知でしょうか。幼少期に病気が原因で視力・聴力を失い話すことも出来なくなり、躾を受けられる状態でなかったため我が儘に育ったが、サリヴァン先生という方との出会いにより厳しい教育のもと、その後数々の功績を残した有名な方だ。
私にとって、この義理の母親はサリヴァン先生の様な存在だった。今ではこのサリヴァン先生(義理の母親)とよく喧嘩もするが(笑)
その為、幼少期の頃は躾がなされるまでは滅茶苦茶な性格だったと思われる。

家は、私はそれが当たり前で育ったが他人からすると滅茶苦茶である。
小さいアパートに大人数が住んでいた。
家は貧乏だった。子供の私はよく分からなかったが借金というものを抱え、時々家の電気が付かなかったりしていた。
貧乏の原因は実の両親にあり、母が死に、義理の母と連れ子である一番上の長女が増え、狭い家の中で大人達は火の車だったんだろうと思う。それでも苦労を見せず、私は家族が大好きだった。それでも無意識に何かしらのストレスは感じていたんだと思う。


次に学校でのおもらし常習犯について。
それは小学校に入って最初からなのか途中からなのかは忘れてしまったが、私はよくおもらしをしていた。
授業中、気付けば足を伝って生温かいものが流れている。暫くすると私の机の下は濡れていた。当然臭いもする。
学校ではこのおもらしがきいており、低学年の頃は皆無邪気でおもらしをする私にも普通に接してくれる子達が数人居たが、次第に年を重ねるにつれて、目立ったいじめこそ無かったが他の生徒や先生から腫れ物扱いをされていたと感じる。
結構厳しい子達からは「汚い」「臭い」と言われていた。
学校には行きたくなかったが何故か行かなければならないという使命感のもと行っていたが、
子供にとって学校が全てである場所に私の居場所は無かったかのように感じた。その為なるべく人と関わりたくなかった。恐らく私のコミュ症はこの頃から始まっていたのだろう。

そーゆー時によく本を読んでいた。本が友達だった。
1人でも楽しめる私の格好の的である。
(余談だが、最近本屋がめっきり減った。とても悲しい。地元のよく通っていた図書館も老朽化で無くなり移転したそうだ。恐らく規模は縮小しているだろう、残念過ぎる。kindleなんかに負けるな!)

好奇心はあったので知識だけが増えていった。
勉強はそこそこできた。でも普通の人が出来る当たり前のトイレが出来なかった。
頭は良いけど頭の可笑しい子、そんなレッテルが貼られた。

家に帰れば、おもらしをした日は当然母に叱られた。
家の外に立たされたこともある。
一度、病院で診て貰ったが腎臓や膀胱は正常、おもらしは原因不明。おもらしをするのは私の怠慢のせいかもしれないとも。怠慢ってなんだと思っていた。トイレに行くことが面倒臭いということだろうか。そうなのか。
私はただ、何故かおもらしをしてしまう時は地に足が着いたようになり動けなかった。それが怠慢なんだと。人が出来ることが出来ない。劣等感を感じた。
それでも小学校3、4年頃までは治らなかった。


小さい頃、女性になりたかった。
よく女装をしていた。
でもそれは恥ずかしいことだと分かっていたので外には出さなかった。

次第に自分という存在が分からなかった。
子供ながらに「消えたい」という気持ちが芽生えた。
その頃に、1人でぼーーとタンスにもたれているとよく分からない気持ちになり、魂が抜けたようなフワフワとした感覚に陥り「何処かに行きたい」と朧気ながら感じ、急に正気に戻るのである。そして「あ、自分まだ生きてる」と安堵に似た感覚を実感し、同時にまだ生きていないといけないんだなと子供ながらに思った。

それでも友達が出来た。おもらしも治った頃、私の過去を知らない転校生である。今では疎遠だがあの時仲良くしてくれたことはとても感謝している。

性同一性障害で女性に憧れていたため、男の子のすることが基本苦手だった。
女の子とよく仲良くなった。
中学生になり、とても仲良かった女の子に「好き」だと言われ、女の子と仲良くするのも考えものだなと考えるようになった。

高校は地元で一番頭の良い学校に進学出来た。
が、高校の頃は勉強についていけず成績は落ちていった。
高校は基本的に誰とも関わらず1人だった。
進学校のため大学に進む子達が沢山居るなか、適当に大学入試を受け、落ちたので適当に過ごすことに決めた。

今思うと、自分というものが確立されていなかったんだなと思う。
私は何になりたいのか、それが分からなかったんだなと。
今も分からないけれど、でもやらないといけないことは分かっているので進むべき道が分かっているから人生を歩んでいる。

誰かが居るから、頑張らないといけない。
それは病気になり入院して考える時間が山程有り分かった。




話は変わって、先に述べた通り私は本が好きである。

私が去年付き合っていた彼氏の話だが、
ある日、彼は私の家でアニメを見ていた。
私はあまり興味が無かったのでその時読みかけの本を読み始めた。
すると彼は私に「変わってるね」と言った。
私は彼の意図が掴めなかった。
彼はつまらないからアニメを見出して、私に構って欲しかったのだろうか。真意は分からないが、ただ本を読む姿を「変わっている」と表現された時に、(あ、この人とは合わないだろうな)と感づいた。

去年付き合っていたこの元彼の話。

彼は、言い方は悪いが恐らく盲信化だ。
ある宗教に入っていた。多分親代々その宗教なのだろう。彼の意志なのか、親が信じているからなのか、その辺は定かでないが、それが良いものだと思っている。
信仰心があることは私も良いことだと思っている。「信じられる何かがある」それは時に自信や力に変えてくれる。
ただ、私は最近の若者と同じく典型的な無宗教なので、この宗教に関して彼と数度揉めることがあった。
初めて彼が宗教に入っていることが分かったのは、初めて2人でご飯を食べに行こうと約束した日だった。

彼の地元で食べようということになり、私が普段入らないイタリアン系のお店に食べに行った。
中はお洒落で、8人程座れる大きなラウンドテーブルの席に通された。
私達2人の両隣には勿論他人が座っており、距離は離れているが耳をそばだてると話し声が辛うじて聞こえる程の距離。
ラウンドテーブルのため、コロナ対策でアクリル板があったが前方に座っている人の顔も伺えた。前方は小さい子供連れの若い家族3人、隣は女性2人、逆隣はSNS女子(食べたものをアップする人)、そして私達2人。

先に注文を行い(サラダやピザ、パスタなど)、私は慣れない雰囲気にそわそわし食事が来るのを待っていると、彼が「アンケートに応えて欲しい」と言い出した。
あまりにも突拍子で少し驚き「え、いいけど?何のアンケート?」と返すとハガキサイズ程の紙を渡された。
そこには「今の世の中(政治やったかも)に満足していますか」みたいなことが書かれていたと思う。
あまりにも場にそぐわないアンケートだったので
「え、何これ…………?」と私は固まった。
彼は「公明党のアンケートやねんけど……」と語尾が小さくなっていたが、私はその時すぐピンと来なかった。
(公明党って何処だっけ……、何か、何かヤバイ、いやヤバくはないが何か絡んでいた、なんやったっけ、あんま好きじゃない、いや、でも初デートに政治の話、え、何これ訳分からん)
思考停止して諦めた私は率直に聞いた。
公明党って何やったっけ、何か絡んでなかった?」
「あ、創価学会……」


(あーーーーーーーーーーーーーーー)

 ♪お手々のしあと しあを合わせてしあわせ な~む~
                そうか~がっか~い♪

 あ そ こ か 


 「ごめん、わしあんま好きじゃない、むしろキライの部類……」
「あ、じゃあ大丈夫」と言って彼は直ぐ様取り下げた。

その後がドギマギした。

(え、初デート初っぱなからこれ?どゆこと、勧誘?誘われてるの?でもアンケートやし、いや、アンケートの内容が意味不明、なんでいきなり政治……、何考えてんだコイツ、え、めっちゃ分からなすぎてヤバい、声大きいし、下手したら周りに聞こえて恥ずかしい、てか、前に居る男の人もしかして聞こえてる?わしの表情読んでる?!ちょ、やめ、ハッズ、ハッズ)

元彼「……嫌いになった?」
 私「え、いや、嫌いとかじゃなく、そんなんで嫌いになったりせんけど、…………信仰心があるのは良いことやと思ってるから、でもこれはちょっと困る……。」
元彼「ごめん」 

(ごめん言うなら初めから言うなや、どーゆーつもりやねん)

このタイミングで食事が来た。

 私「取り敢えず食べんで」私は少しイラッと感じながらもなるべく態度に出さずに言った。
黙々と食べる2人。
サラダはまあまあ、ピザは美味しい、美味しいけど何か素直に美味しいと言えない。
ここで沈黙を破ったのは私だ。
 私「あのさ、こーゆーの前付き合ってた人にもしたん?」
元彼「こーゆーのって?」
 私「いや、だからアンケートに応えて欲しいとか、勧誘的な……」
元彼「してない」
 私「そうなんや、良かった。……絶対他の人にしたらあかんで?」
元彼「え、なんで?」 私 : (こいつ絶対しとるわ……)
 私「いや、何でって、分からん?めっちゃデリケートな話やねんで宗教って。あんまり話しない方がいい。土足で人のデリケートな部分に入ってることになるから」
元彼「でも良いことやし」
 私「○○(元彼)はそれを良いと思ってても他の人が良いと思ってるか分からんやん、有り難迷惑ってあるねんで」

話が噛み合わない。
正直話すのが面倒臭くもある。一応反省してるみたいだからこの話は切り上げた。

が、偶然ってあるもので、食事を後にして街を廻ろうということになり大きな公園に来たが、そこで同じ宗教の人が気弱そうな方を大きい声で勧誘してる場面に出くわした。
普段こんな場面に遭遇することはないのに何故今日だけ……。それともこの地域はこの宗教の方が多いのかなと勘繰ってしまうほどにタイミングが悪く、元彼と私は聞こえないフリをして、その辺でエアガンを手に遊んでいる子供達を見ていた。


2度目に宗教に関して揉めたのは私の誕生日の翌日だった。

誕生日の日、彼はケーキを持って祝ってくれた。その日は一緒に過ごし、プレゼントにユニクロのシャツをもらい、まあまあいい誕生日を過ごせた。
翌日の朝、いつも通りご飯を食べ、9時頃に彼が「行きたい所がある」と言い出した。
 私「ん、何処に?」
元彼「楽しいところ」

前日誕生日だった私は期待するわけである。
何処か連れて行ってくれるのかなと。

昼前に家を出ることになり、外出する前に私はシャワーを浴びたかったため「ちょっとシャワー」と言って入ろうとすると、急いでいるのか「入るんやったら早い目に入って欲しかった」と少し愚痴をこぼされた。
(え、何、時間制限あるの?先言ってよー)と思いながら
「すぐあがるから」といってシャワーを終え、用意をして
彼の言う「楽しいところ」に電車で向かった。

電車を降りそこに向かう途中、人が増え始めた。
どうやら皆同じ場所に向かっているようだ。
そして私達2人も目的の場所はどうやら同じようである。
少し人の多い中、案内看板?を見つけた。
内容は忘れてしまったが「ふれあい広場」的な台詞が書かれていた。
「ふれあい広場」であれば全然良いが、もっとこう、ん?と思わせるクサい台詞だったことは覚えている。

ここで私が何か察知した。

な ん か お か し い ぞ

「楽しいところ」に向かっている筈が変に胸が動悸し始めた。

やがて目的地に着いた。
そこは水族館で、目の前に広場があり、その広場で多くの人が集まり公明党の立候補の人が演説をしていた。
ちょうど選挙の期間だったのだ。

私の中で「楽しいところ」は水族館であり、彼にとっては演説を聞くことが楽しいことだったのだ。
違いに愕然とした。

私は何も言わず暫く黙って彼と演説を聞いていた。
立候補者の生い立ちからなぜ立候補したのか、より良い街にしたい、うんたらかんたら、良いことを言っていた。

けれど私は次第に我慢が出来なくなって少し離れた。

元彼「どうしたん?」
 私「いや、ちょっと……」

徐々に苛々し、結局私が爆発した。
 私「あのさ、わし前に言わんかった?嫌いだって。なんで連れて来たん?」
元彼「一緒に来たかったから……」
 私「一緒に来たいて、嫌いや言うてるやん、こんなとこ連れてきて、怒る思わんかったん?」
元彼「ちょっと思ったけど……」
 私「誕生日の翌日にさ、こんなんやめてくれへん、めっちゃ腹立つんやけど」
元彼「ごめん、……じゃあ帰ろう」
 私「うるっさい!お前が来たい言うたから来てん!最後まで聞いて帰るで!!」

私、聞きたくないのに聞くでと言うてぐちゃぐちゃである。
取り敢えず最後まで聞いた。
いや、苛々しながらだから話半分で聞いたけど。
その間に廻りの人を観察した。
恐らく立候補者のシンボルカラーは黄色である。
広場に集まって来ている人達も各々何かしら黄色のものを携えていることに気付いた。ハンカチ、タオル、向日葵の造花、などなど。
なんか同調圧力なのか集団心理なのか、よく分からないが気持ち悪いものを感じた。
「今、ツイッターでトレンドに上がりました」と司会者が言う中、廻りからは歓声が上がり私は急激に冷めていった。

廻り : わーー、パチパチパチパチ
 私 : しらー
元彼 : 私がぶち切れてるから恐らく気が気でない様子

 何この温度差。

演説が終わったので帰ることにした。
その途中で恐らくまだ歩きだし始めたくらいの小さい子供がいた。普段なら「可愛い」だが、その子が黄色いワンピースを着せられており、もうなんかウンザリして「キモチワルイ」と私の口からこぼれた。

帰る途中、私の説教タイムである。
 私「あのさ、昔から言うやろ。政治と野球と宗教の話はすんなって。何でか分かるか、皆意見持ってんねん、デリケートやねん、喧嘩するからや。わし興味ないから、わしの前でこの話は2度とすんな、わかったな。ってかさ、最初に聞いたやん、何処行くんって、その時言えよ、そしたら正直に言うとったらこんなことにならんねん、正直わしが行くか行かんかはその時じゃないと分からんけど、政治に興味を持つんは良いことやから、行きたいって言うとったら行くかもしれんやん、何がムカつくってな、何処行くんって聞いた時にわしが嫌いやって言ってた所に騙して連れてきたんが一番腹立つわ、わしの選択肢を奪うな、分かったか、ちょっと距離置こう、感覚が違い過ぎる、ってか別れたいん、もーなんなん、意味が分からん、楽しいところ言うたら水族館の方だろう~~~」

久しぶりにぶち切れた。

一応彼は反省している様子だったが。
まだ苛々したので駅前の小さい喫茶店(定年退職して自由きままに個人でやってますーという雰囲気の良い喫茶店)に無理矢理入って気持ちを静めた後に、
「じゃ、お疲れ」と言って電車で彼と別れた。

その夜、ラインで彼から謝罪メッセージが送られてきた。
ここで許す私もアホなのかと思う。

結局、彼とは色々ありクリスマスの翌日12月26日に別れた。
翌年、私がエイズであることが分かったので、直近で付き合っていた彼にはすぐ伝えたが、心配してるのかしていないのか自分のことだけ考えているのか(いや、既に別れていたからいいのだが)よう分からんメッセージをもらい、多分縁は切れただろう。



なんやこれは。

人生色々ある。
いらんこと書けるほど入院が暇だ、というか体力が戻ってきた。なによりだ。
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